アルバータ州では本当に素敵な時間を過ごすことができました。人生で初めて雪を見たときは自然と涙が流れてきたくらいです。
そんなロッキー山脈から帰宅しようとしたとき、バスの運転手さんから「大雨でこれ以上進むのは危ない、車中泊をしなければならないかも…」と告げられました。このとき、私たちはこの問題の大きさを知る由もなかったのです。目が覚めると、そこはホープという町でした。
結局私たちはバスの中で車中泊し、夜中に道端で用を足しました。地元の方が学校の体育館を開放してくれ、朝8時に学校へ入ると、コーヒーと果物を頂きました。ボランティアの方々は、何とか私たちが楽しんで、気持ちを落ち着かせられるようにあらゆることをしてくれました。そのまま昼食をとり、事の重大さを思い知らされることとなります。
午後5時、高速道路が閉鎖されてしまったので、もう一晩、学校に泊まることになったとアナウンスされたのです。私はコートを着て何とか寝ましたが、中にはコートすら持っていない人もいました。
翌日、ボランティアの方々がまたやってきて、あらゆるサポートをして頂きました。学校には約500人の人がおり、テントを張っている人もいて、子どもたちはそこで楽しく遊んでいました。私はというと、時間的に言えばあまり長く眠れなかったのですが、睡眠の質は意外にも悪くありませんでした。大雨は収まってきてはいたのですが、まだまだ不安定で不安な状況を続いていました。
もちろん誰しもシャワーは浴びたいものなのですが、このような状況下では一切浴びられません。学校に救援物資が届けられ、2日目には毛布と枕を手に入れました。ホープの映画館では、無料で映画を見ることができ、ポップコーンも無料で提供してもらえました。上映されていたサスペンス映画は今でも覚えています。
ある友人が、ヘリコプターを使って帰ることができるかもと教えてくれたのですが、値段は信じられないほど高額。さすがに無理なので、翌日午前11時の出発でバスを予約しました。すると、その日の午後4時に午後6時発の列車が出るかもしれないというアナウンスが!荷物を持って駅まで歩いて行くと、テレビ局のスタッフがインタビューや撮影をしていました。
列車といっても2、3時間くらいで着くだろうと思っていたのですが、実際はもっと長くて6時間もかかりました。バンクーバー駅に到着したのは夜中の3時。心身ともに疲れ果てていましたが、何とか力を振り絞って次の日の朝にあった授業に出席しました。災難とも言える旅でしたが、他の国の人たちとたくさん会って、たくさん英語を話せたので、今思えば素晴らしい経験になりました。
たとえば、何が一番つらかったかといえば自由のない生活、先行き不透明な状況はやはり不安なものでした…
また、私は12歳の頃から働いているのですが、人に頼らなければいけない状況は精神的に大変でした。少しでもバランスを取れるようにと、ボランティアの手伝いに参加しました。何かをしてもらうだけでなく、何かを与えることもしたかったんです。
とはいえ、バンクーバーに戻り、再び地に足をつけることができて、とても幸せでした。
バンクーバーへのすべての訪問がこのようなものであるとは限りませんが、私たちが英語を学ぶことで思い出に残る体験ができることをお約束します。私たちと一緒にバンクーバーで英語を学び、あなた自身の経験を作りましょう。